由 緒


 古記録は戦国時代の兵火で焼失して、由緒を尋ねる確たる典拠がない。
しかし鎌倉期よりの神職、小野田家所蔵の文書によれば、「山城国、愛宕神社を勧請す」
とあり、古来、祭神3柱の中央祀神たる「宇賀部大神」を「迦具突智神」とする説に
符号する。 また一説には、神武天皇ご東征のみぎり、皇軍に随順することを肯じなかった名草戸畔の首級を祀るともいわれ往古より頭の守護神として、「おこべさん」の愛称で広く親しまれてきた。

 荒八王子命は、もと現在地の東方100bに、若宮八幡神社は南方約400b、高倉山の中腹に鎮座していたが宝暦4年(1754)、本殿新築に際して、この地に合祀された。
 当神社は「紀伊続風土記」によると、「一村の氏神にて社殿壮麗なり・・・宮作及ひ境内の形状 尋常村落の産土神とも見えす 必古官知の神にして後世その神名を失ひしものならん」とあり、古くは由緒ある知名の神社であったが乱世を経て、衰微したようである。

 元来、頭病平癒の神として尊崇されてきたが、現在では学業成就や入試合格等を祈願する若人の数が増え、四季を通じて祈願者の後は絶えない。

 なお、境内社として太神宮、天神社、
山王神社、稲荷神社、祇園神社、多賀神社、秋葉神社、弁財天神社が祀られている。